大阪地方裁判所 平成8年(ワ)7498号 判決 1998年1月16日
原告
濵﨑司
右訴訟代理人弁護士
原野早知子
被告
医療法人健正会
右代表者理事長
濵﨑寛
右訴訟代理人弁護士
岡田忠典
主文
一 被告は、原告に対し、金六四七万円及びこれに対する平成七年四月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨の判決並びに仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 当事者間に争いのない事実
1 被告は、診療所及び老人保健施設の経営等を目的とする医療法人である。
原告は、昭和五一年八月一日、被告に雇用され、被告の開設する医療法人健正会浜崎医院(以下「浜崎医院」という。)の事務責任者として稼働していたが、平成七年三月三一日、被告を退職した。
2 被告には、退職金規定はなかったが、社団法人大阪府医師会の「職員退職金支給規程」を参考とし、この規程に準じて算出した金額を退職金として支給するとの慣行があった。そして、右の方法によって算定された原告の計算上の退職金額は、一一五五万円であった。
3 被告は、平成七年六月一六日、原告に対し、退職金として五〇八万円を支払った。
二 原告の主張(請求原因)
前記のとおり、原告に支給されるべき退職金は一一五五万円であるにもかかわらず、原告は、五〇八万円の支払いを受けただけであるから、被告は、原告に対し、残金六四七万円の支払義務を免れない。
よって、原告は、被告に対し、未払退職金六四七万円及びこれに対する退職日の翌日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
三 被告の主張
1 主位的抗弁
(一) 被告は、昭和五七年一二月分以降、原告に対する月々の給与を、それまでの月額二六万四〇〇〇円から五〇万円に増額したが、右増額は、原告の住宅購入資金に充てることを目的として、退職金の一部の前払いの趣旨でなされたものであった。
(二) そして、右給与の増額にあたっては、原告も、これが退職金の一部前払いであることを了承し、残額については、退職時に精算することに同意していたのである。
(三) 右のとおり、原告の退職金は、その一部が給与の増加分として支払われ、残金についても、原告の退職時に、給与の増加分として支払われた退職金額を考慮したうえで、五〇八万円と算定して支払ったのであるから、被告が支払うべき未払退職金はない。
2 予備的抗弁
(一) 原告及び被告は、原告が退職するに際し、原告に支給する退職金額についての協議が整わなかったため、被告は、退職金額の算定を税理士の吉森武志(以下「吉森」という。)に任せる旨を提案し、原告も、これを承諾した。
(二) 吉森は、前記給与の増額等の事情を考慮したうえで、原告に支給すべき退職金額を前記五〇八万円と算定したが、この金額は、合理的な計算に基づく相当なものである。そして、右五〇八万円が退職金として、原告に支払われたのである。
(三) このような事情に照らせば、原告は、退職金額の算定を吉森に一任することに同意したというべきであり、吉森は、被告の依頼に基づいて、相当な金額を算定したのであるから、仮に、前記主位的抗弁が認められなかったとしても、原告は、吉森の算定した退職金額に対して異議を述べることはできないというべきである。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
第四当裁判所の判断
一 被告が診療所及び老人保健施設の経営等を目的とする医療法人であること、原告が昭和五一年八月一日被告に雇用され、浜崎医院の事務責任者として稼働していたこと、原告が平成七年三月三一日に被告を退職したこと、原告の計算上の退職金額が一一五五万円であること及び被告が平成七年六月一六日原告に対して退職金として五〇八万円を支払ったこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、被告の主位的抗弁の当否について検討する。
1 前記当事者間に争いのない事実、(証拠・人証略)、原告本人及び被告代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、兄嫁の口利きで、被告と雇用契約を締結するに至ったが、被告の代表者の濵﨑寛(以下「寛」という。)と原告は、従兄弟同士であった。
(二) 原告は、就職後間もなく、浜崎医院の事務長として稼働するようになったが、浜崎医院で寝泊まりし、朝の開院の準備から夜の戸締まりまで、連日概ね午前八時ころから午後九時近くまで働いていた。
原告の給与は、当初月額(税込み)二〇万円であり、賞与として年間四か月ないし四・五か月分が支給されたが、時間外手当ては支払われていなかった。原告は、以前勤めていた会社では二六万円程度の給与が支給されていたことなどから、被告においては、職務にともなう責任が重く、勤務時間が長いにもかかわらず、給与が低額であるとの印象を抱いていた。
(三) 原告の給与は、その後毎年七ないし八パーセント程度の割合で昇給し、昭和五七年一月の時点においては、月額二六万四〇〇〇円(税込み)であった。
(四) 寛は、原告にマンションを買い与えようと考え、税理士に相談したところ、原告が贈与税を負担しなければならなくなる旨を聞かされた。そこで、寛は、原告の給与を増額し、これをマンションの購入費用に充てさせることとし、昭和五七年二月、原告に対し、給与を増額することを告げ、原告の給与月額は、同年一月に遡って五〇万円(税込み)とされた。しかし、寛は、右増額の趣旨を原告に話していなかったため、原告は、勤務時間や職務上の責任に比して低額すぎた給与額が是正されたものと考えていた。
なお、右給与の増額以降、原告に支給された賞与は、年間二か月分に減らされ、年収は七〇〇万円となったが、昭和六三年までは昇給はなく、同額の年収とされていた。その後の原告の年収は、平成元年は七〇三万円、平成二、三年は各七一二万円、平成四年は七一六万九〇〇〇円、平成五年は七一七万円、平成六年は七一三万二〇〇〇円であった。
(五) 原告は、昭和五八年四月ころ、浜崎医院を出て、賃借マンションで居住するようになった。そのため、原告は、マンションの賃料や光熱費、諸費用等の負担を余儀なくされた。
(六) 原告は、平成七年三月をもって、被告を退職することとなり、退職に先立って、寛、寛の妻及び吉森と、退職金についての話合いを行った。この話合いの際、寛が原告に退職金の希望を聞き、原告が多ければ多いほどよいなどと答えたところ、寛は、原告には給与を多く支払いすぎている、退職金から差し引くなどと述べた。結局、原告の退職金については、その場で結論を出すことができず、寛は、専門家である吉森に退職金額の計算を任せることを提案した。
原告は、吉森が公平な立場から退職金額を算定してくれるものと考え、右提案に同意したが、原告には、吉森が算定した退職金額を無条件で受け入れるまでの考えはなく、吉森が算定した金額が提示された後、その金額を基準として、さらに、話合いが継続されるものと思っていた。
(七) 吉森は、原告の昭和五七年の給与月額である二六万四〇〇〇円が漸次昇給して平成七年には五〇万円となるように各年の給与月額を確定し、実際に支払われた賃金との差額分を過払分として計算したところ、原告の退職金は、すべて支払ずみとなってしまったため、役職手当て及び資格手当て相当額を含めて計算し、原告に対する退職金を五〇八万円と算定した。
(八) 原告は、平成七年六月一六日、被告から、退職金五〇八万円の支払いを受けたが、その算定根拠が不明であったため、被告に対し、これを明らかにするよう求めたところ、吉森作成の右算定根拠を記載した書面の交付を受けた。
原告は、この計算が不満であったため、税理士や労働基準監督署に相談するとともに、再三にわたって、寛や寛の妻、吉森に対して異議を述べ、計算のやり直しを求めたが、埒が明かなかった。
2 右認定の事実によれば、昭和五七年に行われた原告の給与の増額については、この措置が、寛が原告のマンション購入資金に充てればよいとの判断に基づいて行われたものであることが認められるものの、その趣旨が原告に説明された形跡がなく、ましてや、右増額が、原告に対する退職金の一部の前払いであることについて、原告と寛との間で明確な合意が形成されたことが認められる証拠は皆無である(寛自身も、その代表者尋問において、給与の増額が原告に対する退職金の一部の前払いであるとの説明をしなかった旨を供述している。)ことに照らせば、被告の主位的抗弁が失当であることは明らかといわなければならない。
二(ママ) 次に、被告の予備的抗弁について検討する。
1 前記認定の事実によれば、退職金額について、原告と寛との間で協議が整わず、寛がその計算を吉森に委ねることを提案し、原告も、この提案に同意をしたうえで、吉森が原告の退職金額を計算した。
しかしながら、原告としては、吉森が算定した退職金額がどのようなものであっても、これに従うとの意思を有していたとまで断定するに足る証拠はない。むしろ、前記認定のとおり、原告の意思としては、吉森が公平な立場で算定した退職金額を見たうえで、それが納得できるものであれば尊重し、納得できないものであれば、さらに、寛と交渉を行って妥協できる金額を探ろうとしていたというべきであって、このことは、(人証略)の、吉森が算定した退職金額について双方に不満がある場合には原告と寛とが話し合って決定するものと思っていたとの証言からも窺うことができる。
2 このような事情に照らせば、吉森に退職金の計算を任せたことが、いわゆる仲裁としての意味合いを有していたとすることはできず、単に、一応の計算例の試算を求めたにすぎないというべきであるから、被告の予備的抗弁は、吉森の計算結果の合理性、相当性について判断するまでもなく、失当といわなければならない。
三 以上判示のとおり、被告の主位的及び予備的抗弁はいずれも失当であり、原告の本件請求は理由があるから、被告は、原告に対し、未払退職金六四七万円及びこれに対する退職日の翌日である平成七年四月一日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を免れないというべきである(なお、本件証拠上、被告における退職金の支払時期が明らかでないが、被告がこの点について積極的に争っていないことに鑑み、原告の請求どおり、遅延損害金の起算日は、平成七年四月一日とする。)。
第五結語
以上の次第で、原告の本件請求を全部認容することとして、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結の日 平成九年一一月二〇日)
(裁判官 長久保尚善)